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2012年12月の17件の記事

2012年12月29日 (土)

うまい棒クン

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2012/12/29

本日は放射線治療の今月(今年)最終日。

今日から1週間を年末年始体制としているようで、予約時間が午前中になっている。

受付カウンターには、左の写真(ピンボケ過ぎて干支の12匹がすべて塊状態ですが)のような永年使いまわせる「お正月飾り」が登場しました。

明後日までは、中央の赤い御座布団の上にいる権利を有しているのは「辰」で、左隣りに(薄桃色の輪っかにしか見えませんが…)いるヘビと新年で交代するそうです。

可愛いので、ビフォー&アフター で撮らせてください、とスタッフに許可をもらって携帯で撮りました。(次回1/2は、デジカメ持参で治療に行こう!)

さて、タイトルの「うまい棒クン」、なんと、今日会えました。

今日は、いつもの3倍くらい患者が多く、看護師さんも、妙に若い方たちが目についた。私が受付済ませて、ソファに座って本をよんでいるところに、彼が母親とともに

登場しました。

なんと、今日は、車椅子ではなく、歩いてきたのでした。

足取りもしっかりしていて、予想していたよりも、もっと身長も高かった。

看護師さんが2人、寄ってきて「今日も、うまい棒、で行くのかな? で、何味?」

などと楽しげに質問している、「明太子味」などと答えていましたけれど、「子ども」ってやっぱり面白い生き物です。

入院のまま、年越し(と思われる)患者さんが今日の待合室の半数以上でした。

クリスマスも年末年始も「がん細胞」は「そんなの知るか!」ということでしょうけど、抵抗力が弱っている身には、帰宅は困難でもあるのでしょうね。(ちょっとぐらいいいじゃない、とか思うけど、院内感染などの原因にもなり得るわけだし、

やはり難しいことなのだろう)

治療の方は、明日、明後日、明々後日、とお休みするわけで、今日はシッカリとムラサキのペンで、しるしの線を上書きしてもらいました。

街は、新年を迎えるための準備に追われる人々で、デパートなどは芋の子を洗うよう。「お年賀」の菓子折り買うだけで、へろへろになりました。

 

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いきものがかり

2012/12/28

夜、NHKテレビで今年1年の総括を特集していました。

ロンドンオリンピック、NHKの放送では、応援ソングとして、

いきものがかり「風が吹いている」を何度も何度も耳にした猛暑の頃が懐かしい。

いきものがかり、といえば、今日、病院で放射腫瘍科外来診察の時、診察順が私の次、は

前回のブログで取り上げた「いきものがかり」CD好き、女の子でした。

私が先生に挨拶をして、ドア(引き戸)を開けたら、目の前に車椅子に座った女の子が

待っていて、「わ、再会だゎ!」と思いました。

マスク姿のお顔ですが、それにしても肌が白くてキレイです。(でも、こんなに白いのは日射しに当たらない生活だからかな?)

私は、そのままエレベーターで地下へ降り、照射を受けましたが、ここでも、終わって出てくると、彼女が、大人たちに囲まれて嬉しそうに順番待ちをしていました。

先ほどのマスクは口の下あたりまで下げられていて、ニコニコした口元が良く見え、また頬がうっすら上気してピンク色に染まっていて、なんだか可愛いな~。

聞こえてくる会話をそれとなく聞いた限りでは、今日が放射線治療の最終日みたいでした。

「頑張ったね~」とか「偉いね」「良かった良かった」などと、大人たち(スタッフ)から声掛けされて、嬉しそう。

今日だけで、二度も会えたので、これからは彼女を「いきものがかりちゃん」と呼ぶことにしよう、なんて思ったけれど、今後はもうなかなか会う機会がナイかな。

そうしたら、男の子の方を「うまい棒クン」と呼ぶことにしちゃおう。

外来棟と病棟と両方に売店があり、病棟の売店を覗きに行ったところ、入院時にお世話になった看護師さんとバッタリ鉢合わせする。

お互いに、「あー、」 と言って、次のコトバが出てこない。

看護師さんたちは「チーム制」をとっていて、それがとっさに出た私

「Bチームさんでしたよね」

彼女からは、「短い入院の方、あ、オペ当日がOOO←男性看護師の名前 担当

しましたよね。ふぎゃ~、お元気そうでよかったでしたー」とか言われました。

さすが、4%の男性看護師クンたち、ですね。そこがポイントで記憶に残っていたとは…。

私は 「OOO担当、短いヒト(入院期間)」と呼ばれていたのかもしれない。

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2012年12月25日 (火)

放射線治療室で思ったこと

放射線治療を行う地下の治療室へ行くと単位面積あたりのスタッフが少ないせいか、空気が変わる感じがする。手術室同様窓のない部屋でもあり、「雰囲気を察知するのが敏感」な子どもはこんな部屋は嫌かもしれない。

 

先週今週と2週続けて、入院中の子ども&付き添いのお母さん、という光景を目にした。

 

先週は女子(小5~中1くらい?)車椅子、バンダナ姿、親子は看護師さんたちと談笑していたが、順番が来ると女性の技師さんが

「じゃあ今日は『いきものがかり』でいこうね」と言って持ち物から出されたCDを受け取り先にリニアック室へ。

その後、看護師さんが車椅子を押し、後に残る母親に「じゃあ、行ってきまーす!」

と元気な声をだして(声は看護師さんの方が大きかった)治療室へ。

治療室へ入ってから、脱衣して、治療台に上がり、照射場所ピッタリに合うよう姿勢や位置を何度も確認し…(これに数分かかります)

部屋の外で待つ母親は、受付の方などと、おしゃべりしながら待っているのですが、照射が始まると、(扉の上のランプが点灯します)ランプを見つめて、1・2・3と秒数を数えたり、お祈りしたりしていました。

 

また、翌週は、別の子ども(男子:中学生くらい?)でやはり車椅子、母親はお姉さん?みたいに若い。彼の場合は、CDではなくて、なんと「スナック菓子」でした。

…スナック菓子の効用って何?  と思いながら、「今日はいい調子で良かったね」

などと言いながら帰る親子を見送り、順番が次だった私は、訊いてしまいました。

スナック菓子(うまい棒という小さいお菓子1つ)の香りを嗅ぐと、治療室での不快が抑えられる、ということで、ギリギリまで、「うまい棒」の匂いを嗅いで、照射を受けたのだそうです。

お母さんという立場で、子どもの「闘病」を支えることは、本当に辛いことだと、自身が母親になってムスコが入院するなどはもちろん、風邪やインフルエンザでグッタリされても、「母は辛い、代われるものなら代わりたい」という気持ち、身をもって痛感しました。(よく考えれば、私の実家の母だって「娘→乳がん:子どもが「がん患者」の母親」になってしまったのでありました)

看護師さんに聞くと、治療が可能なのは4歳児くらいから、だそうで、患者さんの年齢が「小さい」ほど、私たちのテンションは上がります、と。

私たち、わけのわかっている「大人」でさえ、毎日照射は疲れるな~と感じるのだから、小さい子やお年頃のティーンエイジの子には、さぞかし辛い、つまらない、ことでしょう。素直に治療を受けている姿、偉いなーと拍手したくなってしまう。

病気にならず、毎日元気に暮らせている、ということは、(人生)丸儲け!!なんだよ~と、人生を粗末にしているヒトに教えてあげたい気分です。

話しは変わり、昨夜の病棟のごはん、メニューにローストチキンがあったのだそう。病院食もクリスマスなんですね、病棟の各階に電子レンジとオーブントースターがあるのですが、昨夜は、チキンを温めるのにフル回転だったのかも…sun

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2012年12月24日 (月)

ブログ村へ…

デビューしてみました。2012年のクリスマス・イブ (=゚ω゚)ノ 

さっそく訪れてくださった「乳がん」を課題にしている方々に感謝!

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復活して月末~師走へ

2012/11月末~12月

頭痛、ホットフラッシュ少々、耳鳴り時々、  これが不調のもとでしたが、とにかく睡眠、そしてゆっくり入浴してごはんを食べたら、なんとか回復。

月末は、勤務先で多忙の中、ふと気付くと、何の不定愁訴もない!あれ?どうして?

まぁ、辛くないことを気にするなんて、時間の無駄、と割り切る。

12/1(土) 一週間遅れで写真展(東京都写真美術館)へ行く

師走に入り、友人のアトリエで「私の退院を祝う会」を4人の仲間が開催してくれる。(日曜午後3時)

12/6(木)は、放射線治療の前に、渋谷でランチ(プチ・ジャカルタ会)この6人の友のうち2人には状況を伝えてあったのですが、他の4人には、この日にカミングアウト。病理結果のことを伝えるときに、ステージやグレード、というコトバ、まるで宝石鑑定みたいだ、と以前のブログに登場した友人の発言はこの時のもの。(12/8 ステージやグレードについて)

12/9(日) 葛西臨界水族園に行く(今月有効の券をもらったがゆえに…)

12/16(日) 東京芸術劇場 コンサートホール 日フィル、指揮:井上道義 

                  ベートーベン 交響曲 第9番 ニ短調 《合唱》 を聴く

一方で、治療も進む。

12/4(火)  放射線科 CTシュミレーター

12/6(木)         X線シュミレーター

12/7(金)、12/10(月)~14(金) 17(月)~21(金)  毎日、放射線治療(火曜日&金曜日はドクターの診察付き)

16日には選挙もあったし、落ち着かない世の中に連動?して毎日放射線科に通い(銀行早退)、疲れるからグッスリ眠る→翌日早起き、という「師走の追い風」を受けて進んでいるような気になるこの頃。副作用が、ホルモン療法も放射線治療も、皆無に近く、このことを診察時に尋ねたところ、

「大丈夫です。(副作用)ナイひと、は本当に「ナイなぁ」としか思わないようですし、アルひと、は想定される副作用だけでなく、いろいろさまざまな症状を言ってこられます。まぁ、人それぞれ「細胞」が違うように副作用も違うと思って、そのへんは気になされなくて結構です」

気にするのを止めることにした。気持が軽くなってきた。(薬の飲み忘れに気をつけねば)

この三連休で、ブログが現在に追いついたことも嬉しい (◎´∀`)ノ

 

2012年12月23日 (日)

不調

2012/11/23-25

勤労感謝の日から始まる3連休。私自身は「静養」に尽きる(はず)、ということなのに、家族がそれぞれ、日々、超早起きして出かける(&車で送るサービスまでしてしまった)とか、深夜の帰宅(または帰宅出来ない)などという不規則極まりない状況を、それとなくフォローしているうちに、私の体調がどんどん不調になってしまった。

あの、高額注射、きっと副作用がある!(今までと違う感じはすべてこのせいにしそうな勢い?)、そして飲み薬を毎日朝晩忘れずに飲む(というプレッシャー)、風邪ひきそうな寒さ、なんだかんだで、とうとう25日は一日寝込んでしまった。(予定の外出はすべてキャンセル…余計落ち込む)

月末に向けて、勤務先の仕事は忙しい。まして来月は、毎回「早退→放射線治療」だ。

自分の健康状態をベストコンディションにすることだけを考える。

ホルモン治療と放射線治療

2012/11/21

午前10時:放射線腫瘍科で診察 治療の詳細説明、同意書にサイン等

午後2時: 乳腺科で診察、 血液検査の結果が出ており、本日リュープロレリンの注射を化学療法室で受け、ノルバデックス90日分の処方を受ける。

放射線治療は12月から開始予定。

注射、1本で3カ月分、ということではあるが、会計したら、いいお値段だ!(投薬&注射で\24,560) クレジットカードのポイントがぐんぐん貯まりそうだ。

思えば、ちょうど2カ月前の今日(9/21)、細胞組織検査を受けたのだった。 疑わしいから検査している、とわかっていても、親や親類に癌がいない身としては、「認めるわけにはいかない」という思いもあって、多忙に過ごしていた日々だったっけ。

シコリが悪性と知ってからは、なんだか怒涛の日々だったので結局私はこの病気になってから涙を1滴も流していない。

手術の前日のお風呂で、右の乳房を洗う時、「明日、失うかもしれないんだ」としみじみ思い、入院の際、友から差し入れてもらったロクシタンの「泡洗顔料」で右乳房だけ泡だらけにしてよーく洗ってあげたりしました。(でもやはり涙はナシ)

感情が安定している、と言えば良い表現だけれど、要するに私はもう、どーん、と「オババ」化していて(実際オバサンだけど)、恐れるものはナシ、という心境だったのかもしれない。

我が家のがん患者第一号になってしまった私。

まぁ、誰かが罹患すると仮定してら、

ムスコたちは絶対X 

オットも世帯を支える稼ぎ主だから困るX 

 ということでやはり私でよかった、ってことではないけど「仕方ないなー」などと思ったりするこの頃です。

2012年12月22日 (土)

病理診断結果が出るまでの日々(2)

2012/11/8~14

私はアラフィフの主婦・パート銀行員・母・嫁という顔を持って暮らしています。仕事は、1か月の半分くらいの出勤数。先月の入院&手術の際も、非出勤日をうまく合わせて、結果、2日しか年休使わなかった、というまぁ便利といえば便利な身分です。

退院して一週間、自宅にいると、ヒマヒマしている姑(二世帯住宅)を相手にしなければならない時間帯もあって、ああ、やっぱり外で仕事するというのは、私の気分転換&逃げ場だなあと家にいるのもだんだん厭になってくる。

14(水)までは連続出勤、これには事情があり、職場の(パートの)相方さん(Mさん)が昨日から海外旅行中ということで、以前から出勤することを了承済みだったため。(それにしても、入院→退院のタイミングがこうしてうまく合って良かった)

Mさん、は私よりも年上ですが、私だけでなく、他のパート社員の人たちも、「模範にしたい」「理想だな~」と言われている方。もともと銀行員で結婚退職→子育てやら転勤やら→マイホーム購入→子供たちは社会人そしてそれぞれ結婚&独立→ローン完済→孫もいる

そして、今の収入はすべて自分に投資(海外旅行代、美術鑑賞代、お洒落代等)出来るという御身分です。(ついでに姑はとうの昔に他界、自身の母親を呼び寄せて同居)

今回の旅行は、「お友達」と行くと言ってました。ご主人とは新婚旅行で行ったところだからもういい、ということで…。いいないいな、仲の良い友との海外旅行。今年3回目だったかな。

ということで、その間、私は毎日出勤。

事務職だと、「ゴム印」押す瞬間に、「あ、胸に響く」とか、端末をカチャカチャ打って、最後にエンターキーをカチ!と押しこんだ瞬間に「また響く」などと、時折、病み上がりを実感するものの、夢中で働いて、あら、もうこんな時間!!という日々は、病理結果を待つ身には返って良かったのではないかと後から思う。

14(水) 午後早退、病院へ。 待合室で周囲を観ると、今まで気づかなかったウイッグの患者さんの存在に気づく。考えてみれば、手術後に通院する回数の方がずっと多いのだ。毎晩毎晩、乳がんの本、雑誌、PCでは乳がんブログを良く見ていたので、結果を聞いたとき、先生から、「短期間によく勉強してきましたねー、たぶん今のかちゃまたさんの知識は他の診療科目のドクターよりきっと上だと思うよ」などというお言葉をいただく。

結果は、   ER(+) PR(+) HER-2(0) Ki-67 5%以下 GradeⅡ 

         ホルモン療法が良く効く ルミナールタイプ だとのこと。

         受験の合否結果通知を聞いた後のようにドッと来ましたm(^Д^)

 

病理診断結果が出るまでの日々(1)

2012/11/1~7

仕事復帰は7(水)からとなっているため、のんびり過ごそうと思いつつ、ジーっとしていても病理診断の結果を気にしたりして、気持がマイナスになるような気がして、出来る範囲で積極的に家事をこなすことに決める。

洗濯、風呂場掃除、夕飯のカレー作り(買い物はムスコ担当)、術側が右ということで、左手をなるべく使って、まるで左手のトレーニングだ。

2(金) 本来なら、この日の夜は、カナダ大使館でのチャリティコンサートを聴きに行く予定だった。誘ってくれた友人から、素敵な花束が届く。(その気になれば行けそうなほど元気なんですけど…静養しなければね)。来年は是非。

3(土) 今日が誕生日の友人にバースデーメールを送る。彼女からへんじ。免疫細胞を増やすのには「笑うのが一番」ということで、お笑い集団「ザ・ニュースペーパー」の年末銀座博品館公演のチケットを予約トライしてみるね、とあり。嬉しい。

4(日) ピアノを弾いてみる…駄目だ、全く力が入らない。おっぱいに傷があるとピアノが弾けないことがよく判った。

6(火)冷たい雨の日。 退院後、リハビリと思って掃除洗濯買い物、いろいろこなしてきたら今日は傷口周辺がちょっと疼く。おとなしく過ごす。

7(水)勤務先へ出勤→午後病院 徐々に馴らしていくにはちょうど良いかも。勤務先では、免疫細胞が喜ぶような対応をしてくれて、有難い、と思った。もしも、抗がん剤でウィッグになっても、(金融でカウンター&接客有り)転勤せず、ここの皆と仕事したいな、と。

午後診察、傷口のところ見せてもらいましょうか?と言われ、モゾモゾ着替え中、担当医からいきなり、「あー、断端は(-)だったよ、再手術はナシ、ということになりました」と言われ、「え、病理結果、出てるのですか?」と面喰った。

断端だけは確定ということで1週間早く教えてくれたのだそうです。

唐突でしたが安堵、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

2012年12月18日 (火)

退院はハロウィンデー

晴天のハロウィンデーに無事退院する。

自宅に戻り、周囲を見回すと、予想通り、必要最低限(に及ぶかどうか)の家事のみ行いました!

という家の中。(゚Д゚)ハァ?

 

まぁ、想定の範囲内だし、「退院」がよりリアルに感じられる現実にいることを実感しようと思う。

 

入院中も親兄弟や友人、会社の上司と同僚には経過報告をメールで行っていたので、先ずはお知らせの電話とメール(o^-^o)

生還おめでとう!のような返事を次々もらって,

やはり、退院できたことは嬉しいな、と改めて思う。

 

病気というのは個人情報の中でもとりわけ厳重扱いになる内容。

入院中(二人部屋)、隣の人は、お子さんも小さく、入院手術はもちろん闘病にあたって実家の親御さんのサポートを受けてたからご自身の血縁者には全て伝えているらしいけれど、子ども&夫の両親には一切話してないのだといっていた。

 

彼女は子どもが娘ゆえ(果たして乳がんは遺伝しやすいのだろうか?)小中学生の娘たちに病名を伏せるのだと言っていました。

職場へも家族へも、また親しい友人にも同僚にもサッサと伝えてしまった私。

入院、通院、手術、 こういったいろいろをこなすには、やはり、あまりに秘密主義には出来ない気がする。(病名は伏せて…と職場の管理職方々は気を使ってはくれましたが、結局私から話してしまいました、というか、女性が多い職場で、私の年齢、若い人へのアドバイス?も含め、話してしまってスッキリ、でした)

痛み止め、はお守り代わりに処方してくれましたが、結局その後3週間後に頭痛になるまで飲むことなく過ごしました。

 

2012年12月17日 (月)

退院まで

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2012/10/30(火)

 

朝食を食べ終わるか終らないというタイミングで教授回診が始まっていた。

教授に続いて、乳腺科チームの先生方、そして若い医局員?インターン?よくわからないけれどとにかくゾロゾロ病室に入りきれる?という感じで並んでいる。思わずこちらも緊張。

教授、「昨日手術ですね、お傷はいかがですか?」 「あー、(といいながら若いドクターたちに向かって)、ほら、『部分(切除)の方』ですよ~(はい、これです)」と私にはそんな解説が付きました。

 

 どうやら、私が入院した大学病院では、術前化学療法は勧められておらず、よって、温存手術の割合も他に比べて低いのかもしれない・・・(後に、3年前のデータでは35%と判る)

 

 午後、退屈なのでナチュラルローソンまで買い出しに行こうかな?と1階まで降りたところでムスコ(その1)とバッタリ出会う。ハロウィンにちなんだ可愛らしいアレンジの花を持って面会に来てくれたのでした。よくよく考えれば、ムスコの大学(院)も同じ区内にあり、これから授業に行く途中に立ち寄ったそうで、まぁ、母親が乳がんで入院しているお見舞いなんて、長く滞在は避けたい(けど、行かないわけにも・・・)という心境なんだろうなー。(ありがと!ムスコ)。

 

 この日は夕刻遅く、弟とオットが重なるようにやってきた。

 

 午後8:30 担当医の先生が現れる。本来、この日は非出勤日のはず、の先生でしたが、なぜか回診しにやってきました。外来ではいつもそうですが、元気で明るくホント良く働く先生です。

「かちゃまたさん、明日、退院する? 大丈夫そうだよ! どうする?心配ならもう一日いても良いしネ。じゃあ、ちょっと考えてみてあとでお返事ください」

退院することにしました。o(*^▽^*)o

 

手術

2012/10/29(月)

今朝から食事なし、朝の回診(8:00)頃に、チーム医療の先生が4~5人でどどーっと現れる。(週明け月曜日の朝だけれど、皆さん、元気で勤労意欲がみなぎっている感じ。)

今日手術を受けるのは、私以外にも何人もいるのでしょうけれど、何だか上手く行く、ような気がした。(出来れば「温存」であってほしいな…)

実家の母とオットが到着。

8:20に本日担当の看護師さん(男性でした!この病院の看護師男性率は4%だそうで、私はラッキーだったのかアンラッキーだったのか??)にナビゲートされて手術室へエレベーターで移動。

エレベーターを降りたところで、家族と別れ、男性看護師くん(後で年齢聞いたらムスコ(その1*長男)とほぼ同年齢の年男だった)とともに手術室へ。

本人確認、手術内容の音読確認、そして手術着に着替え、3つある手術室の真ん中へどうぞ、と案内される。(看護師くんはここまで)

手術室は明るく、広々として、思っていたより整然としていた。

音楽(確か無難なBGMをリクエストした、「演歌以外でお願いします。」と言ったら看護師さん、笑って「演歌」はたぶんないと思う(選択肢に)と。)がかかっているような…耳を澄まそうとしているところへ、心電図や血圧を測る機械、などが付けられて、手術台の上は、(不織布で出来た薄いふわふわの布団に暖風が送り込まれていて、そこに入り込む形で)居心地よさそうでちょっと嬉しくなってしまった。

布団乾燥機で乾燥中の布団に入るみたいなノリ、腕に付けた点滴針から、全身麻酔の薬が入ります!と麻酔の先生に言われて、返事して…ほこほこ気分のところで記憶が断絶。

時間の経過がわからない、呼ばれた記憶もない、が視界に明るい窓ガラス?が入る。手術室には外の景色が見える窓などなかったはずだから、ここは回復室なのだ、と思いめぐらしたところでまた記憶が途絶える。

次に目を開けたら、今度は病室のベッドにいた。オットと母が、手を振っている。

「無事終わったよ」「リンパ節への転移はなかったから、オンゾン出来たって!!」

オンゾン、オンゾン=温存出来たんだ!  と思ったら、また安堵して眠ってしまったらしく、次に気がついたのは、なんと午後6時の 「夕飯の準備が出来ました」というアナウンスだった。

酸素マスク、足のマッサージの機械音、指先にも計器がついていて、尿カテーテルは入っているし、と現金なもので、気づいた時点から、ストレスを感じるわぁ~となっていき、夜中には頭痛?のど通?と看護師さんに訴え、点滴にロキソニンの液体バージョンを追加してもらった。

朝の5時頃、顔色良いし、大丈夫そうなら歩いてトイレに行ってみますか?と様子見にきた看護師さんに言われ、二つ返事で、点滴以外いろいろはずしてもらって、トイレへの往復をする。全くフラフラしない、ちょっと空腹感さえある。なんて元気なのだろう!朝ごはんのメニューはなんだったっけ?(朝から普通食、ほぼ完食)あら、術側右胸はカチカチだわ、どうなっているのだろう?

と同時多発的にわーっと気持が乱れるが、根本的には「手術成功」「温存」の二文字があって安堵感で幸せでした。

体は熱っぽいが、体を切ると熱が出る、というような話をだれかから聞いていた気がして、「普通の反応」と思い込み、気にせず機嫌よく過ごしていたら、翌々日退院と相成りました。

2012年12月16日 (日)

MRI・PET-CT・入院まで

2012/10/8~10(月~水)

入院する、という予約の他にも、検査がいろいろ待っていました。

MRIは病院内の予約を待っていると遅くなるから、という理由で、アウトソーシング機関へ

行くことに(メディカルスキャニング)。土日祝日にも対応してくれるのでかなり便利。

10(水) 採血・採尿・心電図・肺機能検査 (午前)  PET-CT(午後)

2012/10/20(土)

医療用ウイッグを取り扱う美容室を探して、相談ののち、髪の毛を25cm

カットしてもらう。ウイッグのオーダー決定するまで自宅に持ち帰る。(自毛使用のウイッグ

もあり?かと…)

2012/10/24(水) 

麻酔科受診、過去にも入院歴があり、特に問題はなさそう。

 夕方、入院前の最終診察(担当医) 

2012/10/25(木) 

入院前日、「明日からしばらく入院のため欠勤します。」と業後、職場に

挨拶してこれにて、準備完了!。  

この晩、コンサートのチケットを入手(当選)していたため

帰宅の前に銀座へGO。銀座のシャネルビルで開催されたピグマリオン・コンサート

(今回は室内楽の夕べ)を楽しむ。  これ(2名分の当選)本当は、友人と聴きに

行きたかったのだけれど時期が時期なので、致し方なく、オットと行く。

2012/10/26(金) 

入院当日、10時、 手続きを済ませ、外来棟とは全く雰囲気が違う、中

央病棟へ。今回の入院は4階。20年前にも、この病棟の3階(母子センター)に流産、

そして翌年には出産で入院経験があり、この日のお昼ご飯の「メニュー」も含めて、

代わり映えしていない、懐かしさ?と古めかしさ?。しばし、タイムスリップ感覚を

味わう。  夕方4時~担当医からの「手術の説明」を実家の母、オット、私、記録係の

看護師さんで聞く。 乳がんに関する用語さまざまに母とオットはすっかり面喰って

しまい、感想は「乳がん、ていろいろムズカシイんだねー」「先生に、お任せしましょ」

ということに。

手術は29(月) 午前8時20分に手術室へ移動。約3時間くらいかかる予定とのこと。

2012/10/27~28 (土日)

尿を溜める検査の必要がなくなり、ヒマヒマの2日間となる。

一旦、帰宅しても良いですよ~と言われたけれど、痛みのない入院というのも何だか

貴重な時間をもらった気分(しかも上げ膳据え膳だし)で帰宅しないことにする。

実は、28(日)の夕方には、新宿のオペラシティホールで日本音楽コンクールのピアノ部門

のファイナルを観賞(観戦?)予定だったのに、(入院前日のコンサートはOKでも、手術前

夜のコンサートはさすがに無理に決まってます)、結局このチケットは、手術日が決まった

時点で、職場のクラシック好き I君(大学時代、ピアノ同好会だったそう)にプレゼントしてし

まったのでした。「久々のフルオケ(ピアノ部門ファイナルはコンチェルト形式)なんて嬉しい

なぁ」とチケットは有意義に使われることになってまあ良かったですが。

しかし、芸術の秋、は大学付属病院でも味わうことが出来たのであります。

地続きの医学部の「大学祭」に運良く?ぶつかり、思いがけず「医学部オケ」のコンサート

を聴きにいくことが叶いました。 大学病院ならでは、かもしれませんが、名誉教授のおじ

様(おじい様?)がチェロやビオラの中に混じっていて、そういう方はなんというか、雰囲気

やふるまいに、品の良さが出ていて、熱心に演奏する姿がとてもビューティフルでした。

それにしても、コントラバスが8名もいるような大所帯のオケでありました。

ドボルザークやチャイコフスキー、迫力あったなぁ、お陰でパワーもらった気分。

その他、課題図書と称して、ムスコ(解説:息子その2=次男、以前この病院で産まれた)

から渡された、本とマンガを読む。売店のスイーツコーナー(この時期パンプキン入りの

プリンやお菓子多数)、おせんべい、)の買い食いを楽しむ、など。

 

 

 

 

2012年12月15日 (土)

告知まで

2012/09/13(木)

住んでいる地域のがん検診で「マンモグラフィ」の予約をした晩のこと。

プリント類に目を通し、ゆるキャラのイラスト入りのハンドブック(がん検診手帳)の「しこりのチェック」を説明図に従い行っているところで、『発見』してしまったのでした。

右手の指の腹で、しこりのグリグリした感触を見つけた瞬間…いわゆる不吉な予感…こういう時って、「知りたくない!」って思っていても、感じてしまうものだと(普段は能天気なのに)つくづく思う。

2012/09/18(火)

昨日は敬老の日(祝)だったので、仕事の帰りに受付(ブービー)でクリニックへ滑り込む。

昨年の6月から、更年期のホットフラッシュで漢方薬を定期的に出してもらっている近所のレディースクリニック。

先生は、「あー、そろそろ薬?」という表情で出迎えてくれましたが、状況を説明すると、即、触診、そしてエコー…。  これ、早く精密検査を受けた方が良いね、とすぐに紹介状を準備始める先生。  希望の病院を選べるそうなので、入院歴のあるT大学付属病院をお願いする。

2012/09/20(木)

大学病院外来受診、触診とエコー、でやはり、要精密検査と診断。明日、マンモと細胞組織を調べましょう。明日午後来てね、と予約票が出る。

2012/09/21(金)

仕事はパートの銀行員、昨日は事情を話して休暇取ったけれど、今日はもともと不出勤日。ということで、友人と映画(&ランチ)の約束があったのだが、そもそも私が誘った映画だし、なんとか出来るギリギリで…と病院の最寄駅の隣の駅の映画館で観ることに変更してもらう。(中学からの友人ゆえ融通がうんと効く~感謝)

 映画を観終わった30分後には、病院の受付を済ませ、マンモの機械に挟まれて(イテテテ…)思い切り現実の中にいた私。

2012/10/04(木)

夕方、大学病院へ。検査の結果が出ている日。

担当医の先生は、30代半ば、元気で明るく爽やか~ニコニコ顔が印象的な先生。もし、この先生が「告知」するとしたらどんな感じなのだろう・・・。

「こんにちはー。」マスク姿でやはり明るい雰囲気(でもマスクで良くは見えませんでしたけれど笑顔でなかった)

「かちゃまたさん、診断の結果が、いいものではなかったんですよね、だから手術して取り除きましょう、焦る必要は全くないけれど、出来たら入院の予約手続きは今日して帰ってね」

なんだか、一気にきました。

「いいもの、じゃない、ってことは、いわゆる「悪性」ってことで、「しこり」は「癌」ということですかね。」

「「焦ることない、けれど手術して早く取ってしまった方が良い」というレベルというのはどんなレベルなんですか?」

結局、ワンセンテンスずつ、訊き直し、最後に「先生、今のが『告知』ということですか?」

なんて、確認して、それでも、知識が乏しいゆえ、頭真っ白にもならず、淡々と手続き等いろいろこなして、通勤通学客で込み合う電車で帰宅。(遅くなったので、家族や実家にメールしておいたところ、そういった周囲の方が結構大騒ぎになっていました!!(゚ロ゚屮)屮)

2012年12月 8日 (土)

かちゃまた、とは…

ハンドルネームを決めるきっかけは、同じ病気療養(闘病?)のブログを書き綴っている方へ

の投稿のためでした。  かちゃまた→カチャマタ→kaca(ガラス)mata(目)→kacamata

(メガネ)の意味のインドネシア語です。 もう10年以上昔のことですが、インドネシア(ジャカルタ)で暮らした経験が少しあり、その時、運転手やメイドを使いこなすために必死でコトバを覚えました。現地で習ったインドネシア語教室で、ルーマニアから来ていた人(たぶんルーマニア人)のクラスメイトが、自分の飼い猫に「かちゃまた」という名前を付けて、「私、このコトバの響きが好き」と言っていたエピソードが何故かとても印象深くて、猫好きな私自身がハンドルネームに使うことにした次第。

まぁ、それにしても、ふつうは、猫に「メガネ」なんて名前つけませんよね。あの時、ルーマニア人の駐在宅にもメイドなど使用人がいたら、さぞかし妙な気分だったでしょうね。

辞書があるので、ついでに 癌は何というのか調べてみたら、

癌=kanker  でした。胸=dada  というので、乳がんは、  kanker dada  かな?

 

 胸=ダダ、というように、同じ音が続く単語が結構あるのが特徴で、

 

  体で言えば、毛穴=pori-pori    肺=paru-paru   となってます。

 

 当時、家庭教師(インドネシア語)に教えてもらった笑えるコトバ

  日本語で、ボロボロ(洋服や雑巾などの形容)は、インドネシア語だとボロンボロン

 というらしく、表現には国は違えど同じような音がつくのだな~と感心。

ステージやグレードについて

先日、友人とランチをした際、乳がんの話をするのに、「ステージは・・・」で「グレードは…」

と話だしたら、「わぁ、なんかダイヤモンドの話みたいだねー」って素朴に返されて頬が緩みました。

私の乳がんは、右乳房、ほぼ真下(やや内側に侵襲?) 

   縦横奥行きが、1.1x0.9x1.1

   浸潤性乳管癌   センチネルリンパ節生検(-)

   ステージ Ⅰ  ER:PR ともに(+)70%以上 Her2(0) Ki67 5%以下

   グレード Ⅱ  ルミナールAタイプ

 

  ということで、抗がん剤は効かない、ホルモン療法で治療する患者となりました。(。・ω・)ノ゙

はじめまして

2012年12月  今年もあと3週間程で終わろうとしているこの時期。

しかし、世の中は先月半ばに衆議院が解散、来週末には総選挙、と慌ただしい!

そして、今夕はまた地震(東京震度4)があったり… 落ち着かない。

ブログ=日記、キリの良い新年から始めようかと思っていたのだけれど、

やはり、今年起きた、個人的重大事は今年のうちにまとめておこうと思い立ったのです。

10/4(木)、乳がん告知受けました。

入院、手術、ホルモン療法、放射線治療、…

怒涛の秋~冬。季節はめぐります。

この3ヶ月のことをしっかり受け止めて前に進むためにも、

記録をつけてみることにしました。

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